小麦農家のほとんどは、赤かび病の防除が開花期に行うべきものだと知っている。知っているのに、なぜ毎年どこかの圃場で失敗が起きるのか。原因は知識の不足ではなく、現場で複数の問題が同時に起きたときの判断基準がないことだ。開花がバラつく。雨が続く。他の作業と重なる。この3つが重なったとき、農家は何を優先して動くべきか。本記事はその判断フローを具体的に示す。農研機構や茨城県農業総合センターの一次データを根拠に、現場で使える判断基準を整理した。
防除法を知っていても失敗する農家の現実——3つの同時問題
赤かび病の防除適期は開花期だと知っている農家は多い。適期に散布し、条件が続くなら7〜10日後に2回目を打つ——この基本を理解している農家でも、実際の圃場で思うように動けないことがある。原因は3つが同時に起きるからだ。
まず「開花のバラつき」。圃場の中でも穂によって開花のタイミングが異なり、どの穂に合わせて初回散布を決めるか迷う。早い穂に合わせれば遅い穂の防除が間に合わない、遅い穂に合わせれば早い穂の防除が遅れる、という構造的な問題が毎年起きる。
次に「雨との競合」。赤かび病が最も感染しやすいのは開花期に気温20℃以上で降雨が続く条件下だが(茨城県農業総合センター病害虫防除部、2023)、その条件と散布適期が完全に重なる。晴れ間を待つと適期を逃し、雨の中で打てば効果が落ちる、という二択を迫られる。
3つ目は「他作業との競合」。麦の開花期は、水稲の代かきや移植準備とちょうど重なりやすい。コンバインのスケジュール調整や農薬の手配も含めると、「わかっていても動けなかった」という状況は珍しくない。
これら3つが重なったとき、農家が頼れる具体的な判断基準が必要だ。
開花始期の正確な見極め方——出穂後7〜10日がなぜ目安になるか
「開花期」と一口に言っても、小麦の開花は肉眼で確認しにくい。茨城県農業総合センター病害虫防除部の資料では、コムギの防除適期を「出穂後7〜10日頃の開花期」としている。この7〜10日という数字の根拠を理解しておくと、現場での判断精度が上がる。
小麦の開花は穂の中位の小花から始まり、上下に広がる形で進む。このとき「黄色い葯(やく)」が穎花(えいか)の間から押し出されてくる様子が観察できる。葯は花粉を含む器官で、これが外に出た状態が開花の証拠だ。開花期には気温20〜25℃の条件でFusarium属菌の子のう胞子が穎花に付着しやすくなり、感染が始まる。
圃場観察のポイント:葯の色と位置で開花を判定する
圃場での観察は、穂の中位部分の穎花に注目する。穎花の合わせ目から1〜2mmの黄色い葯が確認できれば開花始期だ。この状態の穂が圃場全体の2〜3割に達した時点が、初回散布の目安となる。全穂が開花してから散布すると、先に開花した穂への感染がすでに始まっている可能性がある。
気象条件も同時に確認する。開花期前後に気温が20℃を超え、かつ降雨の予報がある場合は発病好適条件として警戒水準を最高レベルに引き上げ、散布準備を優先する。
出穂予測で散布カレンダーを逆算する
「いつ出穂するか」がわかれば、防除の計画は立てやすくなる。品種ごとの出穂日は、地元のJA普及センターや農業試験場が例年データを持っていることが多い。気温の累積値(積算温度)と出穂の関係をあらかじめ把握し、散布日の候補を2〜3日の幅で設定しておく。好適天候の予報が出た日が散布日の候補に入らない場合は、作業スケジュールを前後に調整できるか事前に確認しておく。農薬・散布機・人員の手配は出穂予測から逆算して1週間前には完了させておくことが現実的な水準だ。前日夕方に「明日散布できる」と判断できる状態が、適期防除を成功させる体制の最低限となる。
開花がバラついたとき——圃場内のどの穂を基準に散布タイミングを決めるか
圃場内のすべての穂が同時に開花することはほぼない。播種量の分布・圃場の水はけ・施肥ムラなどによって、同じ圃場内でも穂の生育に最大で5〜7日程度のバラつきが生じることがある。
この状況で「どの穂を基準にするか」が防除精度を左右する。
「早い穂」に合わせるのが原則
正しい基準は、圃場内で最も早く開花した穂(早生穂)に合わせることだ。遅い穂が開花する前に散布しても、散布直後から薬剤の効力が続く残効性があるため、後から開花する穂にも一定の防除効果が期待できる。一方、遅い穂に合わせると、早い穂はすでに感染可能な状態に長時間さらされた後になる。
2回散布体系では、初回を早生穂の開花始期に合わせ、2回目を7〜10日後に設定する。2回目の時点では遅生穂の開花が進んでいるため、2回目でそれらをカバーする体制となる。
圃場を小ブロックに分けてリスク評価する
排水不良エリアや低平部など、生育が遅れやすい場所が圃場内に存在する場合は、そのエリアを別ブロックとして観察する。大区画圃場では、端と中央で開花の進み方が異なることも多い。1圃場でも観察ポイントを3〜4か所設けて開花の進み方を記録すると、判断の根拠が明確になる。
畦ごとの開花状況をスマートフォンで記録する
現実的な記録方法として、巡回ルートを固定し、同じ観察ポイントで毎日または隔日で穂の状態を撮影する方法がある。開花の進み方を日付ごとの画像で把握しておくと、「この畦は2日早かった」という情報が翌年の計画に使える。スマートフォンの位置情報付き写真を使えば、圃場内のどのエリアで開花が早いかのマップが自然と蓄積される。開花の早いエリアは赤かび病リスクが高いエリアとほぼ一致するため、このデータは翌年の重点観察エリアの特定にも役立つ。
雨が重なったとき——「待つ」か「打つ」かの判断基準
赤かび病菌の感染は、開花期に降雨と高温が重なることで急増する。しかしこの条件こそが「雨の中で作業しにくい」状況と一致する。適期防除の失敗の多くは、この矛盾をどう解決するかで決まる。
雨前散布の有効性——「雨が降る前に打つ」のか正しい
雨が降り始める前に散布した農薬は、葉面や穎花に付着した後、一定時間をかけて組織内に浸透する。耐雨性を持つ剤(例:ミラビスフロアブル)は、散布後2〜4時間が経過すれば降雨があっても効果が大きく低下しない性質を持つ。雨の予報が出ている場合でも、降り始めの2〜4時間前に散布できるなら実施する価値がある。
ただし「雨の中での散布」は効果が保証されない。散布直後の降雨は薬剤を洗い流し、防除効果を著しく下げる。散布後1〜2時間以内に雨が降った場合は、使用した農薬の特性を確認のうえ、散布を追加するか地元の指導機関に相談する。
雨が続くときの「打ち切り判断」——開花期に3日以上雨が続く場合
気温20℃以上で3日以上の降雨が続く予報の場合、赤かび病の感染リスクは高水準に達する。この状況では、晴れ間を待つより雨の合間に散布する判断が現実的だ。
判断の目安は次の通りだ。雨が一時的に弱まり、散布後2時間以上の降雨がない見込みがある場合は散布を行う。農薬ラベルに記載の「散布後の降雨に対する注意事項」を事前に確認しておく。ドローンやブームスプレイヤーを使う場合は、降雨直後の圃場への進入リスク(轍・地盤沈下)も考慮する。
「雨上がり何時間後から散布できるか」という農家の問いへの答え
これは農薬の種類によって異なる。薬液が乾いた状態の葉面・穎花に付着することが有効性の前提であるため、「雨上がり後に地面が乾き、残水が穎花から落ちている状態」が散布の最低条件だ。一般的な目安として、小雨後であれば1〜2時間、まとまった雨の後であれば2〜4時間の乾燥時間を確保することが望ましい。ただし気温が低く乾燥しにくい場合はその限りではない。農薬ラベルに明記がある場合はそちらを優先する。
適期を逃したときの被害はどのくらいか——農研機構のデータで確認する
「今年は散布が遅れた」という状況になったとき、農家が知りたいのは「どのくらいの被害が出るのか」「今から何かできることはあるか」だ。農研機構(九州沖縄農業研究センター)の研究データ(2010年、吉田めぐみ・中島隆)がその答えを示している。
開花20日後以降にDONが急増する
農研機構の研究では、ポット栽培した小麦の開花期・開花10日後・開花20日後にそれぞれ赤かび病菌を感染させ、その後のかび毒(DON・NIV)の蓄積量を経時的に計測した。いずれの感染時期においても、穀粒中のかび毒蓄積量は開花20日後以降に大幅に増加することが確認された(農研機構、2010)。つまり、感染が開花10日後であっても、最終的にかび毒が急増するのは登熟後半(開花20日後以降)だ。
この事実の意味は重い。開花期に防除を徹底しても、その後の登熟期間に高温多湿が続けば追加感染からかび毒が蓄積し続けるリスクがある。「開花期の防除で終わり」ではなく、「収穫まで管理を継続する」意識が品質を守る。
外観正常でもDONが基準値を超えることがある
同研究では、開花20日後の感染では「穂の外観発病が判然としなくても、成熟期の穀粒中にかび毒が蓄積する」ことが確認されている(農研機構、2010)。これは農家にとって重大な事実だ。穂を見た目で判断して「異常なさそう」と思っても、DONが基準値(1.0mg/kg、厚生労働省)を超えている可能性がある。見た目の判断だけに頼らず、高リスク年(梅雨と開花期が重なった年)には出荷前の検査体制を強化することが有効だ。
適期収穫の遅れもDONを増やす
農林水産省のデータでは、適期収穫日から5日間刈り遅れると穀粒中のDON含有濃度が高くなることが確認されている。防除を徹底した圃場であっても、収穫が遅れることで感染した被害粒から健全粒への2次汚染が進み、かび毒濃度が上昇する。防除と収穫のタイミングはセットで管理する必要がある。
農薬ローテーションと耐性菌管理——同系統連用が招くリスクへの対処法
赤かび病の防除で近年重要性が増しているのが、農薬耐性菌の問題だ。同じ系統の農薬を複数年にわたって同じ圃場で使い続けると、その農薬に感受性の低い(耐性を持つ)菌の割合が高まる。結果として、正しいタイミングで散布しても防除効果が得られない事態が起きる。
農薬の系統(作用機作)を把握する
現在、赤かび病防除に使われる主な農薬はDMI系(プロピコナゾール等)、SDHI系(ベノジル等)、QoI系(アゾキシストロビン等)などに大別される。同一の系統に分類される農薬を連作すると耐性菌が選択されやすい。農薬ラベルや農薬登録情報データベース(農林水産省)で系統(FRAC分類コード)を確認する習慣をつける。
1回目と2回目で系統を変える
実際の運用として最も取り組みやすいのは、同じ作期内の1回目散布と2回目散布で異なる系統の農薬を使うことだ。初回散布と仕上げ散布で作用機作が異なれば、仮に初回で感受性の低い個体が生き残っても、2回目で別の機作から攻撃されるため、耐性菌が圃場内に定着しにくくなる。
年次ローテーションの設計
可能であれば、年をまたいだローテーションも計画する。前年に使った系統をノートや栽培記録に残し、翌年は別系統を基本とする。JA営農指導員や地元の農業改良普及センターに相談すると、地域で推奨されているローテーション体系を教えてもらえる場合が多い。耐性菌の発生は個別農家の問題ではなく地域全体の問題であるため、地域単位での統一的な対応が有効だ。
農薬のFRAC(殺菌剤耐性対策委員会)コードは農薬ラベルまたは農林水産省の農薬登録情報データベース(https://pesticide.maff.go.jp/)で確認できる。同じFRACコードの農薬を連用しないことが、耐性菌管理の基本だ。コードが同じ農薬はメーカーや商品名が異なっていても「同じ系統」として扱う。この点を見落としたまま「別の農薬に変えた」つもりで同系統を連用しているケースが実際には起きやすいため注意が必要だ。
まとめ——赤かび病の防除失敗を防ぐための判断フロー
本記事で示した判断基準を整理する。
開花始期の確認は、穂の中位部分で黄色い葯が穎花から押し出され始めた状態を目安にする。圃場全体の2〜3割の穂でこの状態が確認できれば初回散布のタイミングだ。開花がバラつく圃場では、最も早く開花した穂を基準にして散布日を決め、2回目(7〜10日後)で残りの穂をカバーする体制を組む。
雨が続く時期は「打てるタイミング」を逃さない。降り始め前2〜4時間以内が散布できるなら実施する。雨の合間で散布後2時間以上の乾燥が見込めるなら判断する。晴れ待ちで適期を過ぎることのコスト(DON蓄積・品質低下)は、雨中散布の効果ロスより大きいことを前提に判断する。
適期防除ができた場合でも、登熟後半(開花20日後以降)にかび毒が急増することを踏まえ、見た目で「発病なし」と判断せず、高リスク年は収穫後の検査を活用する。収穫は適期を守る。
農薬ローテーションは1回目と2回目で系統を変え、前年の使用記録に基づいて年次ローテーションを設計する。
赤かび病の防除は、知識と計画の両方があってはじめて機能する。判断の根拠を持った農家だけが、天候が崩れた年でも被害を最小化できる。
防除の失敗が起きた年は、翌年以降の計画に必ず反映させる。「なぜ遅れたか」「どの圃場で被害が出たか」「どの農薬を使ったか」を記録として残し、毎年改善のサイクルを回すことが、長期的な品質安定につながる。赤かび病との戦いは、一作ごとに積み上げる判断の記録によって有利になっていく。「今年の失敗」を翌年の「早い判断」に変えるために、記録の習慣を持つことが、最終的に農家を守る防衛線となる。
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