農産物の安全性を数値で裏づける作物残留試験では、「どの部位を分析するか」という検体部位の設定が結果を左右する重要な要素になります。同じ作物でも可食部だけを対象にするか、外葉や皮を含めるかによって数値は変わり、国際基準との整合化にあわせて見直しも進んでいます。本記事では、農薬取締法・食品衛生法に基づく残留基準の枠組みから、分析部位の考え方、GLPに基づく試験実施、最新の分析技術、そしてGAP認証における検査の役割まで、実務者が押さえておきたいポイントを整理します。
作物残留試験の基礎と農薬規制の枠組み
作物残留試験は、農薬が登録される際に必ず求められる試験のひとつで、農産物中にどの程度の農薬が残るかを明らかにする役割を持ちます。この試験結果は、食品衛生法上の残留基準(MRL)を設定するための根拠データとなり、私たちが口にする農産物の安全性を支える土台になっています。まずは、残留基準がどのような制度のもとで定められているのかを整理します。
農薬取締法と食品衛生法に基づく残留農薬基準(MRLs)の策定
農薬は、農薬取締法に基づく登録の際に、作物残留・家畜残留・土壌残留など複数の試験成績を提出することが義務づけられています。このうち作物残留試験の結果は、厚生労働省が食品衛生法に基づいて設定する残留農薬基準(MRL:Maximum Residue Limit)の根拠データとして活用されます。厚生労働省の農薬・動物用医薬品部会が示す基本原則では、Codex委員会が策定した国際基準を踏まえつつ、国内の作物残留試験成績や使用基準、栽培条件、気候、品種といった要因を考慮して基準値案を作成し、食品安全委員会が設定する一日摂取許容量(ADI)や急性参照用量(ARfD)を超えないことを確認したうえで、最終的な残留基準値を決定する仕組みが取られています。
ポジティブリスト制度の導入と一律基準(0.01ppm)の適用
平成18年5月29日に施行されたポジティブリスト制度により、残留基準が設定されていない農薬についても一律基準が適用されるようになりました。一律基準は0.01ppmという極めて微量な濃度で、国民の許容摂取量を1.5μg/日と設定したうえで、食品摂取量を踏まえてこの数値を超えることのないよう定められています。この基準を超える農薬が残留する食品は、販売や流通が禁止される仕組みです。なお厚生労働省の基本原則では、残留性が極めて低いと判断される農薬について、作物残留試験の結果が定量下限値未満であった場合には、一律基準と同じ0.01ppmを残留基準として設定する考え方も示されています。
残留性に関する試験の体系:作物残留、土壌残留、および家畜残留試験
農薬の登録申請では、残留性に関する試験として、作物残留試験・家畜残留試験・土壌残留試験の提出が求められています。作物残留試験は、農薬を処理して農作物を収穫・調製する圃場試験と、農作物中に残った農薬の量を分析する分析試験の2段階で構成されます。土壌残留試験は、特性の異なる2種類以上の土壌に薬剤を散布し、経時的に採取した土壌中の農薬量を分析して減衰傾向を確認し、半減期を算出する試験です。家畜残留試験は、家畜への飼料給与試験(飼養試験)の結果をもとに、畜産物(組織・乳・鶏卵など)中に想定される農薬の残留量を推定するために用いられます。これら3種類の試験成績が組み合わさることで、農産物・畜産物を通じた農薬の残留実態が総合的に評価されます。
「分析部位(検体部位)」の規定と国際基準への対応
作物残留試験の結果は、どの部位を検体として分析したかによって数値が変わります。同じ農産物でも可食部のみを対象にするか、外葉や皮を含めた形で分析するかで残留濃度は異なるため、検体部位の規定は残留基準の信頼性を支える重要な要素です。ここでは分析部位の考え方と、国際基準との整合化に伴う動きを整理します。
「食品、添加物等の規格基準」における農薬等の残留基準試験用検体の規定
食品衛生法に基づく「食品、添加物等の規格基準」では、農薬等の残留基準への適合を判定するための試験法とあわせて、対象となる検体の取り扱いが定められています。実際の検査においては、玄米と精米のように、日本と海外とで検査対象とする部位(検体部位)が異なる場合があり、これが残留基準値の違いとして表れることもあります。このように、分析部位の規定は単なる作業手順ではなく、基準値そのものの水準を左右する制度上の要素として位置づけられています。
国際基準(Codex)との整合化に伴う検体部位の改定と主な変更点
厚生労働省の農薬・動物用医薬品部会は、Codex委員会における食品分類の改訂作業を参考にしながら、国内でも同一のMRLを設定できる食品群の整理や、MRL設定に必要な作物残留試験を実施する代表作物の明確化を進めています。この整理の中では、植物学的分類に加えて、部位や形態による農薬への暴露や残留濃度の違いが考慮されており、同一の食品群にまとめられると考えられる作物であっても、分析部位が異なる場合にはその取り扱いを変更することが検討課題として挙げられています。国際的な整合を図りながらも、国内の摂取実態や野菜の大きさといった実情に合わせて調整する姿勢がうかがえます。
分析対象となる部位の選定:可食部、外葉、および皮の取り扱いと留意事項
分析部位の選定にあたっては、その農産物が実際にどのように食べられているかという観点が重視されます。一般的には可食部を検体とすることが基本とされますが、農薬の残留特性や作物の形態によっては、皮を含めた全体を検体とする場合や、外葉のように通常は食べない部分を除いて分析する場合もあります。部位ごとに農薬の暴露量や残留濃度が異なることを踏まえ、代表作物の選定や食品群の設定にあたっても、部位や形態の違いが検討要素として組み込まれています。具体的にどの部位が検体として指定されているかは農薬・作物の組み合わせごとに個別に規定されているため、実務では該当する残留基準の告示内容を都度確認することが欠かせません。
GLP(優良試験所規範)に基づく試験実施とガイドライン
作物残留試験の結果が規制の根拠データとして採用されるためには、試験そのものの信頼性が担保されている必要があります。そのための仕組みがGLP(優良試験所規範)で、試験施設の設備や記録の管理体制まで含めて第三者による確認が行われる点が特徴です。ここではGLP制度の枠組みと、実際の試験設計の考え方を紹介します。
農林水産省GLP適合機関による信頼性の高い試験データの作成
GLP制度とは、試験成績の信頼性を確保することを目的とした試験施設への監査制度です。独立行政法人農林水産消費安全技術センター(FAMIC)の農薬検査部が、農林水産省の指示のもとで試験施設の設備・機器・試験操作・記録及び保管の状況を調査しています。GLP調査の対象となる試験分野は、原体組成等試験、物理的化学的性状試験、毒性試験、遺伝毒性試験、残留試験(作物残留・加工調理・植物代謝など)、環境動態試験、生態毒性等試験の7分野にわたり、農薬の登録申請に用いる試験成績は、この農薬GLPに適合すると確認された試験施設で実施・作成されたものでなければ受理されません。
試験設計:最大使用条件における有効成分および主要代謝物の残留推移測定
作物残留試験の設計では、cGAP(critical GAP)と呼ばれる考え方が基本になります。cGAPとは、登録上想定される中で最大の残留濃度が生じる使用方法を指し、原則として最大の単位面積当たり処理量または最大処理濃度、最大処理回数、そして最も短い収穫前日数(PHI)での使用条件を意味します。作物残留試験は、このcGAPに従って実施することが求められ、有効成分だけでなく、毒性学上の懸念がある主要な代謝物についても、収穫までの残留濃度の推移を測定することが必要とされています。地形や栽培管理方法、季節などの違いを考慮した計画に基づいて試験を実施することが、信頼できる最大残留濃度の推定につながります。
適用作物の分類に応じた栽培・農薬処理・サンプル調製のフロー
作物残留試験は、対象となる食品群ごとに代表作物を定め、その代表作物について一定数以上の試験例数を確保することで、同じ食品群に属する他の作物にも基準値を適用できるようにする仕組みが取り入れられています。試験の流れとしては、圃場での栽培管理のもと、cGAPに沿って農薬を処理し、規定された収穫前日数を経てから収穫・調製を行い、得られたサンプルを分析用検体として調製するという手順が基本です。生産量や消費量の多い作物については必要な試験例数も多く設定される一方、生産量が少ない作物ではプロポーショナリティの原則の活用や代表作物での試験結果の準用など、効率的に必要データを確保するための工夫が図られています。
高精度な残留農薬分析を支える最新技術と機器
分析部位から採取した検体を実際に分析する段階では、微量な農薬成分を正確に検出・定量するための技術が欠かせません。対象となる農薬成分は数百種類に及ぶこともあり、機器の性能だけでなくデータ処理の仕組みも検査の精度と速度を左右します。ここでは、現在の残留農薬分析を支える主要な分析機器と、効率的な検査体制の考え方を紹介します。
LC/MS/MSおよびGC/MS/MSを用いた微量(ppbレベル)分析の実務
厚生労働省が定める「食品に残留する農薬、飼料添加物又は動物用医薬品の成分である物質の試験法」では、ガスクロマトグラフ・質量分析計(GC-MS及びGC-MS/MS)または液体クロマトグラフ・質量分析計(LC-MS及びLC-MS/MS)を用いた分析が規定されています。これらの機器は、農薬成分をクロマトグラフィーで分離したうえで質量分析計により検出する仕組みを持ち、タンデム型の質量分析計(MS/MS)を用いることで、ppbレベルという極めて微量な濃度域でも高い選択性と感度を確保できる点が特長です。分析対象の農薬の性質に応じて、揮発性・熱安定性に優れる成分にはGC/MS/MSを、極性が高くLC分析に適した成分にはLC/MS/MSを使い分けるのが一般的な実務です。
迅速な抽出方法とMulti-ChromatoAnalysT等の高度な解析システムの活用
多数の農薬成分を効率よく検体から抽出するため、アセトニトリルなどの溶媒を用いた迅速な抽出法が国内の公示試験法にも取り入れられています。抽出・精製を経て得られた測定データは、多成分×多検体という膨大な組み合わせになるため、これを正確かつ迅速に処理する解析システムの役割も大きくなっています。株式会社ビーフォースが提供するMulti-ChromatoAnalysT(mCAT)は、質量分析装置から得られる複数成分・複数検体のS(M)RMデータから定量値を算出するために開発されたクロマトグラム解析ソフトウェアで、大量のクロマトグラムを扱う現場での作業効率化に活用されています。
多成分セット分析と個別定量分析の使い分けによる効率的な検査体制
残留農薬検査の現場では、検査対象とする農薬成分数に応じて複数の分析メニューが用意されています。特定の農薬成分に絞った個別定量分析は、使用実態が明確で対象を絞り込める場合に適している一方、使用農薬の履歴が不明確であったり、ドリフトによる混入の可能性まで含めてリスクを網羅的に確認したい場合には、数百成分規模の多成分一斉分析が選ばれます。検査機関によっては300成分・400成分・500成分といった規模の一斉分析メニューが用意されており、目的に応じて分析範囲を選択することで、コストと網羅性のバランスを取った効率的な検査体制を構築できます。
産地の安全性確保とGAP認証における検査の役割
残留農薬分析は、規制への適合を確認するだけでなく、産地が自らの安全性を証明し、GAP認証を維持するための実務としても重要な役割を担っています。取引先や消費者への説明責任を果たすうえでも、客観的な検査データを備えておく意義は大きくなっています。最後に、残留分析と産地の安全管理、GAP認証との関係を整理します。
残留基準違反の未然防止と農薬の適正使用を証明する残留分析
残留農薬分析は、出荷前の農産物が基準値を超えていないかを確認する未然防止の役割に加え、農薬が使用基準どおりに適正に使用されたことを裏づける証拠としての役割も持ちます。使用回数や希釈倍率、収穫前日数といったラベルの基準を守っていても、天候や生育状況によって残留濃度が想定より高くなる可能性はゼロではないため、定期的な残留分析によって実際の残留状況を確認しておくことが、出荷後のトラブルを防ぐ実務的な備えになります。
GAP(農業工程管理)の取得・更新に求められる残留農薬検査の対応
JGAPの管理点「C5.6 残留農薬に関する検証」では、農場内で使用した農薬やドリフトの可能性がある農薬のうち、残留の可能性が高いと考えられる品目・農薬成分について、リスクの高い収穫時期・圃場を対象に年1回以上の残留農薬検査を実施し、結果を保管することが必須基準として求められています。特に残留の可能性が高い農薬成分を絞り込めない場合には、多成分一斉分析の実施が求められる点も明記されています。都道府県が独自に運営するGAPにおいても、不適正な農薬使用が疑われる場合に残留農薬検査で安全性を確認することが基準に含まれているケースがあり、GAP認証の取得・更新においては、こうした検査対応をあらかじめ計画に組み込んでおくことが求められます。
検査依頼のフロー、最短翌日報告の実現、および精度管理体制
残留農薬検査を依頼する際は、食品衛生法の登録検査機関またはISO/IEC17025の認定を受けた検査機関に依頼することがGAP認証の要件として求められています。検査機関によっては、依頼書の提出から検体の受け入れ、分析、結果報告までのフローを整備し、多成分一斉分析であっても最短翌日での結果報告を実現しているところもあります。国が実施する農薬試験方法の開発業務を受託し、その成果が公定法として採用されるなど、検査機関の分析技術や精度管理体制も検査結果の信頼性を支える重要な要素になっています。
まとめ
作物残留試験は、農薬取締法に基づく登録制度と食品衛生法に基づく残留基準(MRL)の両方を支えるデータであり、その信頼性は分析部位(検体部位)の適切な設定とGLPに基づく試験実施によって担保されています。分析部位は可食部を基本としながらも、国際基準(Codex)との整合化や国内の食品分類の見直しにあわせて検討が続けられており、実務では該当する規定を都度確認することが欠かせません。分析の現場では、LC/MS/MSやGC/MS/MSによる高感度分析と、Multi-ChromatoAnalysTのような解析システムが、多成分・多検体という膨大なデータ処理を支えています。さらに、こうした残留分析はGAP認証における必須の管理点としても位置づけられており、産地が自らの安全性を客観的に証明するための実務的な手段として、今後も重要性を増していくと考えられます。
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